「返信がないだけなのに、嫌われた気がする」
「好きだったはずなのに、付き合った途端に逃げたくなる」
「離れられると追いかけたくなる。でも近づかれると苦しくなる」
恋愛相談を見ていると、こんな一見矛盾した感情によく出会います。
一般的には、
返信が来ないと不安になる人を「不安型」。
親密になるほど距離を取りたくなる人を「回避型」。
その両方を行ったり来たりする人を「恐れ回避型」。
そんなふうに説明します。
もちろん、それだけでも愛着スタイルを理解することはできます。
でも僕は最近、別の心理学者の理論を重ねてみたとき、
「なるほど。愛着の問題って、ただ“人を信じられるか”だけじゃないのかもしれない」
と思いました。
その心理学者が、マーガレット・マーラーです。
マーラーが考えたのは、
人はどうやって「あなたとつながったまま、私でいられるようになるのか」
という問題でした。
この視点から不安型・回避型・恐れ回避型を眺めてみると、それぞれが抱えている苦しさが少し違って見えてきます。
マーラーの「分離・個体化」って何?
「分離・個体化」
いきなり漢字が6文字並ぶと、読む気をなくしそうですよね。
なので、小さな子どもがお母さんと公園に来た場面を想像してみてください。
まだ小さい頃は、お母さんに抱っこされています。
少し大きくなると、腕から降りて、近くにあるものを触り始める。
歩けるようになると、
「自分で行く!」
と言わんばかりに、お母さんから離れて走っていく。
でも、しばらくすると急に心細くなる。
後ろを振り返る。
お母さんを探す。
見つからないと、
「ママー!」
と戻っていく。
抱っこしてもらって安心すると、また遊びに行く。
離れる。
戻る。
また離れる。
そうやって少しずつ、
「お母さんと私は別の人間なんだ」
という感覚が育っていく。
マーラーは、この心理的な発達を分離・個体化と呼びました。
ざっくり並べると、こんな流れです。
共生
まだ「私」と「お母さん」が十分に分かれていない。
↓
分化
「お母さんと私は別の存在なんだ」と気づいていく。
↓
練習
歩けるようになり、
「自分で行ける!」
と外の世界を探索する。
↓
再接近
自分でやりたい。
でも、本当にお母さんと離れてしまうのは怖い。
「離れたい」と「そばにいて」がぶつかり始める。
↓
対象恒常性
お母さんが目の前にいなくても、
「いなくなったわけじゃない」
「また会える」
「関係は続いている」
と思えるようになる。
ここで大事なのは、
マーラーのいう自立は、「誰も必要としなくなること」ではない
ということです。
むしろ、
私は私。あなたはあなた。
それでも、
私たちはつながっている。
この感覚を作っていくことが、分離・個体化の大きなテーマです。
ちなみに、マーラーと愛着理論は別の理論です
ここは最初に断っておきたいところです。
マーラーの分離・個体化理論と、ボウルビィたちの愛着理論は別の理論です。
「不安型はこの発達段階で止まっている」
「恐れ回避型は再接近期を乗り越えられなかった」
と科学的に証明されているわけでもありません。
しかもマーラーの理論には、現在の乳児研究から見ると修正されている部分もあります。
なので今回は、
マーラーで愛着スタイルの原因を説明する
というより、
人間関係を見るための一つの“補助線”としてマーラーを使ってみる
という話です。
そのくらいの距離感で読んでもらえたらと思います。
不安型——「離れていても愛されている」が難しい
好きな人からLINEが来ない。
まだ3時間。
仕事中なのも分かっている。
昨日までは普通だった。
頭では、
「忙しいだけかもしれない」
と思う。
でも、スマホを見る。
また見る。
返信はない。
すると、少しずつ別の声が出てくる。
「何か変なこと言ったかな」
「嫌われた?」
「他に好きな人ができた?」
「このまま終わるのかも」
相手は昨日と同じ人なのに、
“今ここにいない”だけで、関係そのものまで不安定になってしまう。
不安型の苦しさの一つはここにあります。
マーラーの言葉を借りるなら、ここで連想するのが対象恒常性です。
対象恒常性とは簡単にいえば、
相手が目の前にいなくても、その人とのつながりを心の中に保っていられること。
恋愛に置き換えるなら、
「今日は返信が少ない」
と、
「もう愛されていない」
を分けられることです。
もちろん、不安型の人に対象恒常性がない、という話ではありません。
ただ、
「離れていても、私たちはつながっている」
という感覚が揺らぎやすい、と考えると、不安型の苦しさが少し理解しやすくなります。
だから不安型の人は、相手との距離を縮めようとします。
返信が欲しい。
会いたい。
気持ちを確認したい。
「好き」と言ってほしい。
それは単なる“重さ”ではありません。
その瞬間、
近づくことで、消えそうなつながりを確認しようとしている
のかもしれません。
回避型——「一人で平気」は本当に自立なのか
一方で、まったく逆に見える人もいます。
付き合う前は楽しかった。
毎日連絡を取っていた。
もっと会いたいと思っていた。
でも、付き合い始める。
相手から、
「今週いつ会える?」
「もっと一緒にいたい」
「私のことどう思ってる?」
と言われるようになる。
すると、なぜか苦しくなる。
「重い」
「自由がない」
「一人になりたい」
そして少しずつ距離を取る。
返信を遅らせる。
会う回数を減らす。
場合によっては、突然関係を切ってしまう。
一般的には、こうした動きを「回避」と呼びます。
ここでマーラーの視点を入れると、面白い問いが出てきます。
人から離れられることと、自立していることは、本当に同じなのか?
という問いです。
成熟した分離・個体化は、
「誰の力も借りない」
ことではありません。
誰かを好きになってもいい。
頼ってもいい。
甘えてもいい。
それでも、
自分は自分のままでいられる。
これが大切です。
ところが、親密になることが怖い人にとっては、
「誰かを必要とする」
こと自体が危険に感じられることがあります。
期待したら傷つく。
頼ったら裏切られる。
近づいたら自由を奪われる。
相手の感情に飲み込まれる。
だから、
「最初から誰も必要としなければ安全だ」
という方向へ行く。
すると一見、とても自立しているように見えます。
でも、
誰も必要としないことでしか保てない自立は、本当に自由なんだろうか。
僕はここが、回避型について考えるときの重要な問いだと思っています。
回避型の課題をマーラー的に表現するなら、
「つながっていても、私は私でいられる」
という感覚なのかもしれません。
恐れ回避型——「そばにいて。でも近づかないで」
そして、マーラーの理論と重ねたときに最も印象的なのが恐れ回避型です。
恐れ回避型の恋愛では、ときどきこんな動きが起こります。
相手が離れる。
不安になる。
追いかける。
相手が戻ってくる。
安心する。
ところが、相手が今度は近づいてくる。
すると急に苦しくなる。
距離を取る。
相手が傷ついて離れていく。
すると、また不安になる。
追いかける。
まるで、
「行かないで」
と
「来ないで」
が同じ心の中にあるような状態です。
ここで連想するのが、マーラーの再接近期です。
小さな子どもは、自分で歩けるようになると、
「自分でやりたい!」
という気持ちを持つようになります。
でも同時に、
「お母さんと離れるのは怖い」
という気持ちも出てくる。
だから、
離れる。
戻る。
また離れる。
という揺れが起こります。
恐れ回避型の大人を、
「1歳半くらいで発達が止まっている」
と言いたいわけではありません。
それはさすがに乱暴です。
ただ、
「近づきたい。でも近づきすぎると怖い」
「離れたい。でも本当に離れられると怖い」
という葛藤の形には、どこか似たものがあります。
恐れ回避型の人は、人を必要としていないわけではありません。
むしろ、
ものすごく必要としていることがあります。
愛されたい。
安心したい。
大切にされたい。
「ここにいていい」と思いたい。
でも同時に、
親密になるほど、
「いつか捨てられるかもしれない」
「傷つけられるかもしれない」
「この人に飲み込まれてしまうかもしれない」
という恐怖も大きくなる。
だから、
愛着システムが「近づけ」と言い、自己防衛が「逃げろ」と言う。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような恋愛になります。
本人にとっても、かなり苦しい状態です。
3つの愛着スタイルを「距離」で考えてみる
ここまでの話を、とても単純にまとめます。
不安型の人は、
「離れること」が怖い。
相手との距離が開くと、関係そのものまで消えてしまうように感じやすい。
だから近づこうとする。
一方、回避型の人は、
「近づくこと」が怖い。
相手との距離が縮まると、自分の自由や自分自身が失われるように感じやすい。
だから離れようとする。
そして恐れ回避型の人は、
「離れること」も「近づくこと」も怖い。
離れれば見捨てられる。
近づけば傷つく。
だから、
近づいては離れ、
離れては近づく。
この3つをマーラーの分離・個体化という視点から眺めると、こんな問いにまとめられます。
不安型は、
「離れていても、私たちはつながっていられるか」
回避型は、
「つながっていても、私は私でいられるか」
恐れ回避型は、
「つながりと自分、その両方を同時に持つことができるか」
という問題を抱えているように見えるのです。
安定型とは「一人で平気な人」ではない
では、愛着が安定するとはどういうことでしょう。
「恋人なんていなくても全然平気」
になることでしょうか。
僕は違うと思います。
もちろん、一人で過ごせることは大切です。
でも、
誰も必要としない。
誰にも期待しない。
何があっても頼らない。
それを「自立」と呼ぶのは少し違う。
安定した関係では、
頼っていい。
近づいていい。
寂しいと言っていい。
そして同時に、
離れてもいい。
一人の時間を持っていい。
違う考えを持っていい。
「NO」と言っていい。
つまり、
親密さと自律性を、どちらか一方にしなくていい。
これが大きいのだと思います。
「近づく」か「離れる」かの二択から降りる
不安型の人は、
「もっと自立しなきゃ」
と思っているかもしれません。
回避型の人は、
「人に頼る必要なんてない」
と思っているかもしれません。
恐れ回避型の人は、
「自分でも何がしたいのか分からない」
と苦しんでいるかもしれません。
でも、目指す場所は、
「一人でも平気な人間になる」
ではないのかもしれません。
誰かを必要としても、自分を失わないこと。
そして、
一人になっても、つながりまで失ったと思わないこと。
近づいてもいい。
離れてもいい。
近づいたからといって、飲み込まれるわけではない。
離れたからといって、捨てられたわけでもない。
「あなた」と「私」の間に、ちょうどいい距離が存在していい。
マーラーの言葉を借りるなら、
それが「分離」と「個体化」の先にあるものなのかもしれません。
大人になってからでも、「分離・個体化」はやり直せるのか
最後に、僕が一番伝えたいことがあります。
子どもの頃の経験は、確かにその後の人間関係に影響します。
でも、
「幼少期にうまくいかなかったから、もう変われない」
という話ではありません。
大人になってからも、
信頼できる人との関係の中で、
「離れても戻ってきてくれた」
「嫌だと言っても関係は壊れなかった」
「頼っても見捨てられなかった」
「相手と違う意見を言っても、自分でいてよかった」
という経験を少しずつ重ねていくことはできます。
そうやって、
人とつながることと、自分でいることは両立できる
という感覚を、もう一度学んでいく。
だから愛着の回復とは、
誰にも依存しない強い人になることではないのだと思います。
誰かを大切にできる。
誰かに大切にされる。
それでも、自分を失わない。
そして離れている時間にも、
「この関係はまだここにある」
と思える。
「私は私。あなたはあなた。それでも私たちは一緒にいられる」
もしかすると、それが大人になってからもう一度取り組む、
「分離・個体化」なのかもしれません。


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